私のこころのふるさと岩手県
初めに断っておきますが、私は岩手県出身ではありません。
前職が転勤族だったので各地を転々としていました。 そして最後の勤務地が岩手県だったのです。
前職を辞めた後も岩手で職探しをし、住み始めてからもう丸9年になります。
もう第二のふるさとといってもいいくらい、岩手県にどっぷりつかってしまいました(笑)
以前は盛岡に住んでいたのですが、転勤で沿岸の釜石に配属になり、今は釜石市民として暮らしています。
東日本大震災があったときは盛岡で被災しました。
同じ岩手県でも沿岸と内陸ではだいぶ被害の大きさも違いますし、復旧スピードも雲泥の差がありました。
沿岸にはあまり足を運んだことがなかったので、最初釜石に配属になると聞いた時は多少の不安がありました。
でもいざ配属して働いてみると皆前向きで、元気に働いている方たちばかりで、すぐ職場にもなれることができたので感謝の気持ちでいっぱいでした。
そんなこんなで、ここで仕事を続けようと思っていたのですが、結局仕事を辞めて2日目の事、食料を買い出しにスーパーへ行ったときふと本屋に立ち寄ったのです。
いつもは車や釣り ゲーム、旅行の本などをサッと見るだけでした。
でもその日は普段見ない東日本大震災のコーナーへ吸い寄せられるように入ってしまったのです。
そこである本を見つけて手に取りました。
題名が少し気になったからです。
表紙には幼い男女の中学生が5~6人写っていました。
ふと中心の男子中学生が見たことあるなと思ったのです。
本を開くとその中学生の顔写真と名前が記載されていました。
あ!! っとそこで気づきました。
この中学生は私が辞める直前に、夏休みの短期アルバイトで一緒に働いた子だったのです。
面接は私が担当したのですが、元気で素直な子だったので即採用しました。
実際働いてみると、面接の印象どうり元気で前向きないい子でした。
実際私が釜石に住み始めて思ったのは、皆前向きで希望をもって前に進んでいるという
人が多いということです。
その中学生にも同じことを思い、つらかったであろう震災の事を全く感じさせなかったのです。
その本には、その中学生が小学生の頃被災したこと お父さんとおじいちゃんが津波にのまれ亡くなったこと そして中学生になって震災からの復興を中学校全校をあげて取り組んだことなどが書かれていました。
あれから7年半がたち少しづつ皆の記憶からは、忘れていってしまうと思うのです。
でもいつまでも教訓として記憶に残していきたいと思い自分のブログに書いてみたのです。
岩手県は観光地や美しい自然もたくさんあり素晴らしいところです。
でも本当に素晴らしいのは、震災にも負けない強いみんなのこころなんだということを多くの人に私は知ってもらいたくて、このふるさとのお題に投稿しました。